津梁院は上野にある東叡山寛永寺の子院にあたり、阿弥陀如来を本尊としております。寛永年間に津軽越中守により開基、造営されました。はじめに越中守は父を浅草常福寺に葬り、常院を建立するに及んでその遺影を写し父の諡號似って津梁院と名付けられました。 常院の第一世は権大僧都本祐師で、以後、三十七世迄続いております。延宝8年6月に徳川四代将軍巌有院公の影殿が新たに建立され、幕府の命により別当寺となりました。 元禄16年に罹災し、翌年再建されました。宝永6年、五代将軍常憲院公の影殿が新たに建立されるに及び寺地を写し、慶応4年5月に戊辰戦争にて著しく荒廃しましたが、明治3年、第三十一世徳門大僧正の時に津軽承昭公によって再建されました。 その後、大空襲によって被災し、現在の地に移されました。 |